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 2010.07.19 メルマガ連載3. 藤島光二作「私は障害者である。」 vol.4 「私の心臓は3度止まる。」


       「私は障害者である。」


                      藤島光二
4. 私の心臓は3度止まる。
 

 朝の青梅街道は平日なら大変に混雑するところだが、今日は日曜日。しかもサイレンならしてのノンストップ。
 お気軽親父はちょっと良い気分なのだろう。
 私は大変なんだ。搬送中の車の中でも、その若い先生と看護婦さんに救急員みたいな人がいて、あと運転手がいる。それに親父が乗っている訳で、ちょっとした御一行様だ。といっても、皆真剣な顔をしていた。キョロキョロ外を見まわす親父を除いて、、
 私は病院の時よりも又何本か体に刺されたチューブが増えたような気がする。先生は私の顔やら全身を舐め回すようにみたり、時々チューブに接続している計器の表示を見たりして、看護婦さんともボソボソと話をしたりしていた。
 実は、私は病院にいた時からずっと頭がボーっとしていて、記憶が断片的に途絶えるのだ。
 苦しいかって? 何かごちゃごちゃしていて何も感じない。どうやら私は強制的に眠らされようとしているみたしだ。やがて、私の意識、記憶はしばらく無くなるのである。
 その後は後で親父が皆に話しているのを聞いたことだが、結構スリリングなドライブだったみたいだ。

 スリルがあったのは、私の命のことだ。
 荻窪の病院を発ってから10分位たった頃、スピーカーにつながって車内に流れていた私の心臓の鼓動音が、消えた。
 つまり私の心臓は、止まった。
 さすがの親父も目を大きく開き狭い車内で立ち上がろうとして天井に頭をぶつけても悪ふざけは出来なかった。
 先生は顔色を変えることなく、真面目な表情のままで私の入れられたパッケージに付いていた管を抜き、それを直接私の口の中に突っ込んだのだ。
 その管は酸素を送っていたものだった。パッケージを満たすように設置してあった管を、直接口の中に入れると言う意味が何なのか?最初親父は訳が判らなかったそうだ。
 やがて車内は再び私の心臓音に満ちた。『ドクッ、ドクッ』というより「シュルル、シュルル」といった感じか、あるいは「ジュール、ジュール」という感じの音だった。
 一人、親父は大きなため息をついた。さすがに快適なドライブ気分ではなくなったようだ。

 やがて、車は青梅街道を外れ、南下を続けた。少し狭い道路は休日といえども車の数が増えはじめ、しばし、何度かスピードを落とさざるを得なくなった。そしてついに車は渋滞の中で完全に停車した。それでもサイレンを強く鳴り響かせて、対向車線を進む。つまり対抗する車が来ないのである。やがて私鉄電車の踏切に当たる。
 朝のダイヤラッシュによるものだけでは無さそうだ。何やらダイヤが乱れているみたいだった。
 さすがの救急車も電車の踏切は突破できない。待つしか無いのである。
 私の心臓は再び停止した。同じような処置がなされ、又再び蘇生を繰り返した。
 私は強いのである。今では他人は私のことを『鉄人』と呼んでいる。私は一生懸命頑張っていたのだ。折角のドライブ、そう易々と終わらせてたまるかって、、、
 2度目の心臓停止には、さすがの親父も覚悟を決めたそうな。
 「あ〜、私は悲劇の父親である。」ってか、、、
 10分も待っただろうか、踏切は僅かの隙を付いて開いたのだ。早速けたたましいサイレン音を響かせて横断する。ラッキー!!この車が横断するか否かの時に、早くも再び踏切音が鳴り出す。結局私達の車以外に数台も渡れなかった。私的にはラッキーだった。

 車はその後東に進路を変え、山手線のガードをくぐる。
 その時、3度目の心臓停止だ。
 先生は少し首をかしげながら三度同様の処置を繰り返す。そしてフロントガラス越しに車の進行方向を見据えていた。
「あと5分位ですかね。」
「そうですね。これからは順調に行けると思います。」
と先生と運転手の間で言葉が交わされた。
 車は少し昇り勾配の道を幾つか曲がりながら進み、やかて門を通り、広い駐車場の間を行くと、日赤病院が現れた。
 正面の玄関の先の救急入口に止まり、私の生まれて初めてのドライブは終了した。

 その後、私は4階の新生児集中治療室に運ばれるのである。
 そう、事は終了したのでは無い。これからなのである。
 意外に深刻な、そしてシビアな生への戦いが始まるのだ。


                           (続く、、、)